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地図でたどる日光街道TOP > 二宮金次郎 > 春日部市 宝珠花小学校
二宮金次郎 埼玉県 春日部市宝珠花小学校
埼玉県
 加須市  志多見小学校  水深小学校  大越小学校  樋遺川小学校  不動岡小学校(台座)  礼羽小学校  北川辺西小学校
 春日部市  幸松小学校  南桜井小学校  富多少学校  宝珠花小学校  豊野小学校  満蔵寺  春日部温泉
 幸手市  吉田幼稚園  権現堂川小学校  幸手小学校  上高野小学校
 松伏市  松伏小学校
 杉戸町  泉小学校
 久喜市  桜田小学校  鷲宮小学校
 蓮田市  平野小学校  黒浜小学校(台座)










埼玉県 春日部市立宝珠花小学校
〒344-0102 埼玉県春日部市西宝珠花593 TEL 048-7481031
正門を入った左にあり、セメントでできている。
大きさ:身長105p、股下51p、腰まわり70p、足16p、手16p
@顔は高校生、目は前方を見ている。髪型はリーゼント
A本に何か書かれているか(不明)、本の厚さは1.5p、右手は肩紐を握り左手で本を持っている。
B足は並んでいる。歩幅(つま先間の距離)は計測していない。わらじを履いている。切株はない。
C薪の数(数えていない)、斧は左腰にさしている。印籠はもっていない。薪はひとかたまりに積んでいる。
D着物の裾はでていて、半ズボンをはいている。
E姿勢は静止している。
F台座:高さ93p、奥行き52p、幅31pで台座には何も書かれていない。
台座と像がアンバランスで、像に白いペンキが塗ってある。スラリとした感じでキリスト像を思わせ、違和感がある。


 二宮金次郎は天明7年(1787)小田原市栢山に生まれ、安政3年(1856)に栃木県今市でなくなりました。二宮金次郎というとたいていの小学校の校庭に銅像がありましたので、殆どの日本人なら知っていると思いますが、生涯にどのようなことをし、どのような教えをしたかを知る人は少ないと思います。
 二宮金次郎は天明7年(1787)に小田原市栢山の裕福な農家に生まれ、安政3年(1856)に栃木県今市で70歳で亡くなりました。生まれた頃は裕福でしたが、川の氾濫で田畑を失い、お父さんは金次郎が14歳で、お母さんは16歳の時に亡くなりました。
 そこで叔父さんに預けられるのですが、ある夜 明かりをともして本を読んでいると叔父さんに怒られたのでした。「お前は誰のおかげで飯を食っているのだ。油がもったいない。」というのです。
 金次郎は今度は空き地に菜種を植え、出来た菜種と油を交換して本を読むのですが、また叱られるのです。お前の時間は俺の時間だ。お百姓に学問はいらないというのです。それから始まったのが、薪を背負い歩きながら本を読む姿なのです。
 やがて金次郎は叔父さんの家から独立し、実家の再興に取り掛かりました。そして勤勉と倹約に努め、24歳で以前のような裕福な家に再興しました。それを知った小田原藩士服部家に財政の建て直しを頼まれ、これも成功する事が出来ました。それが広まり今度は小田原藩の分家にあたる桜町領(栃木県二宮町)の再興を頼まれたりして、生涯に615の村々を立て直したといわれています。
 金次郎は桜町領を再興するときに、武士の位を授けられ二宮尊徳となりました。このことは身分差別の象徴だと言う方もあると聞きましたが、二宮金次郎がそういう時代に生きていたということで、生涯にどういう業績を残したとか、どのようなものの見方考え方をしたかという事とは違うと思います。むしろどのようなことを人々に説いたかということが大事ではないかと思います。
まず 勤労、分度(倹)、推譲を人々に勧めました。
 勤労とは 徳に報いるために働く、
 分度とは 収入の範囲内で支出を定めること
 推譲とは 勤労、分度をしてたまった物を将来のために残したり、人に及ぼしたりする事。
また「積小為大」「五常講」を人々に説きました。
 積小為大とは小をつんで大と為すということです。
 五常講とはお金の貸し借りの旋回の過程で、「仁」のこころをもってそれぞ れの分度を守り、多少余裕のある人から困っている人にお金を推譲し借りた 方は、「義」の心をもって正しく返済し、[礼」の心を持って恩に報いるため に冥加金を差し出すなど心を配って人に接し、「智」の心をもって借りた金 を運転し、「信」の心を持って約束を守る、すなわち「仁義礼智信」の「人 倫五常の道」を守ろうというのである。(童門冬二 「二宮金次郎」)

春日部市立宝珠花小学校は、春日部市の北東に位置し、千葉県との県境でもあります。宝珠花は、大凧の里であり、本校はその区域の 学校であります。学校のすぐそばには、大凧会館があります。
明治6年5月1日 宝蔵寺を仮校舎として宝珠花小学校を開設。
明治9年3月1日 西宝珠花141番地へ校舎を新設。
明治19年4月1日 神間学校分教室と改称。
明治25年5月13日 宝珠花尋常小学校と改称
明治30年7月14日 高等科を設置し宝珠花尋常高等小学校と改称
大正3年10月31日 校舎新築落成式
昭和22年4月1日 宝珠花小学校と改称
昭和28年1月28日 江戸川改修により校舎を西宝珠花593番地に移す
昭和29年7月1日 4ヶ村合併し庄和村となり校名を埼玉県北葛飾郡庄和村立宝珠花小学校と改称
昭和30年4月 埼玉県教育委員会より体育研究校に指定される
昭和32年5月 宝珠花小学校児童の歌作成。昭和52年校歌と改称
昭和36年6月15日 鉄筋コンクリート校舎、6教室新築
昭和39年4月1日 埼玉県北葛飾郡庄和町立宝珠花小学校と改称
昭和44年3月10日 体育館完成
昭和45年7月29日 プール竣工
昭和47年3月1日 完全給食開始(庄和町学校給食センター方式)
昭和62年1月20日 校庭の地質調査 奈良・平安時代の住居跡32基を発掘
昭和63年3月3日 校舎並びに体育館を新築完成
昭和63年4月5日 体育館に大凧が寄贈される
平成元年2月8日 庄和町教育委員会指定 国語「読解指導と表現力の向上」
平成4年11月27日 庄和町教育委員会指定「体力向上」
平成7年11月10日 庄和町教育委員会指定「算数科」
平成8年10月15日 世界6カ国救急救助技術研究員との交流会
平成9年10月6日 オハイオ州ボランティア研修員と全校生徒との交流会
平成10年10月14日 埼玉県知事土屋義彦氏訪問、児童の凧づくりを視察
平成12年11月29日 庄和町教育委員会指定「総合的な学習の時間」
平成15年6月13日 庄和町教育委員会指定「学習指導の改善」
平成17年3月31日 特別教室(図書室・生活科室、保健室)を増築する
平成17年10月1日 庄和町と春日部市合併。春日部市立宝珠花小学校に改称
平成19年3月12日 春日部市教育委員会指定「学習指導の改善(算数科)」
平成20年10月28日 春日部市教育委員会指定研究発表会
平成23年6月2日 春日部市教育委員会指定研究発表会「自分の思いや考えを伝え合い、読みを深める子どもの育成」
平成23年6月23日 駐車場フェンス設置

 春日部市(かすかべし)は、埼玉県東部にある市。特例市、彩の国中核都市、業務核都市に指定されている。
当地を起源とする鎌倉時代の武家・春日部氏に因んで、現在の表記に改められる。ただし、春日部という地名自体は、春日部氏登場以前から存在した(春日山田皇女を参照)。江戸時代は日光街道の宿場町であった。1944年(昭和19年)、南埼玉郡内牧村と町村合併するまでは粕壁町と表記していた。そのため、現在でも春日部市内には市名と同音異字の粕壁という名称の地域が在る(即ち、春日部市粕壁)。

市域の多くは中川低地(東京低地)と呼ばれる低地に位置し平坦であるが、市内各所に台地を有し、北東部の宝珠花に宝珠花台地、南東部の南桜井駅付近などに金杉台地、南西部の豊春駅付近の花積地区に花積台地、北西部の北春日部駅付近の内牧地区に内牧台地が存在する。なお、春日部市は、下総台地(宝珠花と金杉は江戸川によって下総台地から切り離された)と大宮台地という2つの台地が同一自治体内に存在する唯一の例となる。台地部分には遺跡が多く所在し、代表的な遺跡として内牧地区には内牧塚内古墳群、粕壁地区には浜川戸遺跡(奈良時代後期から鎌倉時代)、豊春地区には花積貝塚、宝珠花台地には神明貝塚、金杉台地には米島貝塚などが所在する。特に縄文時代の遺跡は貝塚が多く、縄文海進を検証する好地域である。また倉常地区は、中川低地内に位置するが、近年、須釜遺跡という弥生時代の遺跡が発見され、弥生時代ごろから人々が生活できる地域であったことが立証されている。地勢的に旧春日部市東部、旧庄和町地区は田園地帯とりわけ低地と河川が多くあり埼玉県東部地区で一大の米穀の生産地である。埼玉県の東部に位置し、国道4号・新4号国道と国道16号、東武伊勢崎線と東武野田線が交差する交通の要衝である。また、大落古利根川沿いの小渕砂丘は、埼玉県の以前の利根川流路沿いに多く存在する河畔砂丘の代表的な物である。市内では、小渕砂丘のほかに浜川戸、藤塚で砂丘が確認されている。高度経済成長以来、東京のベッドタウンとして人口増加の一途を辿ってきたが、ここ数年はいわゆる「都心回帰」現象により転出超過数が自然増加数でまかないきれなくなっており、減少に転じている。2008年4月1日より、特例市に移行した。

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