〒344-0102 埼玉県春日部市西宝珠花593 TEL 048-7481031 正門を入った左にあり、セメントでできている。 大きさ:身長105p、股下51p、腰まわり70p、足16p、手16p @顔は高校生、目は前方を見ている。髪型はリーゼント A本に何か書かれているか(不明)、本の厚さは1.5p、右手は肩紐を握り左手で本を持っている。 B足は並んでいる。歩幅(つま先間の距離)は計測していない。わらじを履いている。切株はない。 C薪の数(数えていない)、斧は左腰にさしている。印籠はもっていない。薪はひとかたまりに積んでいる。 D着物の裾はでていて、半ズボンをはいている。 E姿勢は静止している。 F台座:高さ93p、奥行き52p、幅31pで台座には何も書かれていない。 台座と像がアンバランスで、像に白いペンキが塗ってある。スラリとした感じでキリスト像を思わせ、違和感がある。 二宮金次郎は天明7年(1787)小田原市栢山に生まれ、安政3年(1856)に栃木県今市でなくなりました。二宮金次郎というとたいていの小学校の校庭に銅像がありましたので、殆どの日本人なら知っていると思いますが、生涯にどのようなことをし、どのような教えをしたかを知る人は少ないと思います。 二宮金次郎は天明7年(1787)に小田原市栢山の裕福な農家に生まれ、安政3年(1856)に栃木県今市で70歳で亡くなりました。生まれた頃は裕福でしたが、川の氾濫で田畑を失い、お父さんは金次郎が14歳で、お母さんは16歳の時に亡くなりました。 そこで叔父さんに預けられるのですが、ある夜 明かりをともして本を読んでいると叔父さんに怒られたのでした。「お前は誰のおかげで飯を食っているのだ。油がもったいない。」というのです。 金次郎は今度は空き地に菜種を植え、出来た菜種と油を交換して本を読むのですが、また叱られるのです。お前の時間は俺の時間だ。お百姓に学問はいらないというのです。それから始まったのが、薪を背負い歩きながら本を読む姿なのです。 やがて金次郎は叔父さんの家から独立し、実家の再興に取り掛かりました。そして勤勉と倹約に努め、24歳で以前のような裕福な家に再興しました。それを知った小田原藩士服部家に財政の建て直しを頼まれ、これも成功する事が出来ました。それが広まり今度は小田原藩の分家にあたる桜町領(栃木県二宮町)の再興を頼まれたりして、生涯に615の村々を立て直したといわれています。 金次郎は桜町領を再興するときに、武士の位を授けられ二宮尊徳となりました。このことは身分差別の象徴だと言う方もあると聞きましたが、二宮金次郎がそういう時代に生きていたということで、生涯にどういう業績を残したとか、どのようなものの見方考え方をしたかという事とは違うと思います。むしろどのようなことを人々に説いたかということが大事ではないかと思います。 まず 勤労、分度(倹)、推譲を人々に勧めました。 勤労とは 徳に報いるために働く、 分度とは 収入の範囲内で支出を定めること 推譲とは 勤労、分度をしてたまった物を将来のために残したり、人に及ぼしたりする事。 また「積小為大」「五常講」を人々に説きました。 積小為大とは小をつんで大と為すということです。 五常講とはお金の貸し借りの旋回の過程で、「仁」のこころをもってそれぞ れの分度を守り、多少余裕のある人から困っている人にお金を推譲し借りた 方は、「義」の心をもって正しく返済し、[礼」の心を持って恩に報いるため に冥加金を差し出すなど心を配って人に接し、「智」の心をもって借りた金 を運転し、「信」の心を持って約束を守る、すなわち「仁義礼智信」の「人 倫五常の道」を守ろうというのである。(童門冬二 「二宮金次郎」) 春日部市立宝珠花小学校は、春日部市の北東に位置し、千葉県との県境でもあります。宝珠花は、大凧の里であり、本校はその区域の 学校であります。学校のすぐそばには、大凧会館があります。 春日部市(かすかべし)は、埼玉県東部にある市。特例市、彩の国中核都市、業務核都市に指定されている。 市域の多くは中川低地(東京低地)と呼ばれる低地に位置し平坦であるが、市内各所に台地を有し、北東部の宝珠花に宝珠花台地、南東部の南桜井駅付近などに金杉台地、南西部の豊春駅付近の花積地区に花積台地、北西部の北春日部駅付近の内牧地区に内牧台地が存在する。なお、春日部市は、下総台地(宝珠花と金杉は江戸川によって下総台地から切り離された)と大宮台地という2つの台地が同一自治体内に存在する唯一の例となる。台地部分には遺跡が多く所在し、代表的な遺跡として内牧地区には内牧塚内古墳群、粕壁地区には浜川戸遺跡(奈良時代後期から鎌倉時代)、豊春地区には花積貝塚、宝珠花台地には神明貝塚、金杉台地には米島貝塚などが所在する。特に縄文時代の遺跡は貝塚が多く、縄文海進を検証する好地域である。また倉常地区は、中川低地内に位置するが、近年、須釜遺跡という弥生時代の遺跡が発見され、弥生時代ごろから人々が生活できる地域であったことが立証されている。地勢的に旧春日部市東部、旧庄和町地区は田園地帯とりわけ低地と河川が多くあり埼玉県東部地区で一大の米穀の生産地である。埼玉県の東部に位置し、国道4号・新4号国道と国道16号、東武伊勢崎線と東武野田線が交差する交通の要衝である。また、大落古利根川沿いの小渕砂丘は、埼玉県の以前の利根川流路沿いに多く存在する河畔砂丘の代表的な物である。市内では、小渕砂丘のほかに浜川戸、藤塚で砂丘が確認されている。高度経済成長以来、東京のベッドタウンとして人口増加の一途を辿ってきたが、ここ数年はいわゆる「都心回帰」現象により転出超過数が自然増加数でまかないきれなくなっており、減少に転じている。2008年4月1日より、特例市に移行した。 |
||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 【リンクについて】 当サイトへのリンクは自由です。上記リンク用バナーをご利用ください。 ただし、リンクサイトのホームページの内容が法律や公序良俗に違反している場合は、リンクをお断りします。 なお、当サイトは予告なくページの変更または削除することがあります。 相互リンクは、こちら からお願いいたします。 【免責事項】 当サイトからリンクを設定しているサイトの内容は、各ホームページ管理者の責任で管理・運営されているもので、 それぞれのリンクサイトの掲げる使用条件に従って利用下さい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||
【歩く地図でたどる日光街道】 http://nikko-kaido.jp/ mail JZE00512@nifty.ne.jp 制作・著作:風になりたや(浜田輝雅) Copyright(C)2010-2013 nikko-kaido All Rights Reserved. このサイトの文章・画像、地図は著作権で保護されていますので、無断転用、転載はご遠慮下さい。 但し、個人で使用する場合は、その範囲ではありません。しかし、会社や団体等で使用する場合は連絡下さい。 ご利用される場合、内容の加筆や削除はご遠慮下さい。 ご意見や記載内容についてご意見があればお聞かせ下さい。 |