|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
初めて歩く人のために - 【 歩く地図でたどる日光街道 】説明 ↑TOPへ 大沢宿から今市宿 森友用水(栃木県日光市)〜今市宿〜上今市(栃木県日光市) 3247m 40分 今市宿(いまいちじゅく) 日光街道の20番目の宿駅(宿場町)である。現在の栃木県日光市今市。今市宿は江戸時代に下野国都賀郡にあった宿場町。もと今村と呼ばれていたが宿駅となって住民が宿に集まって活況を呈し、定市が開かれるようになったことから今市宿となったと云われている。この宿は一街道の単なる一地方宿ではなく、日光街道のほか、壬生道、会津西街道、日光北街道などが集まる交通の要衝に立地する宿駅であった。 日光例幣使街道と日光街道の追分には地蔵堂がある。ここに安置されているのは像高2メートルの石造地蔵菩薩坐像である。もと空海(弘法大師)が大谷川含満ヶ淵の岸辺に建てた石仏と云われ、大水で流されて今市の河原に埋もれていたのをここに堂を建て安置したものと云われている。徳川吉宗が日光参詣した折、この地蔵が白幕で覆われているのを見て、後は白幕で覆わないよう命じ、この地蔵堂の後ろで朝鮮人参を育てさせたという。正確な造像時期は不明だが、室町時代頃の作と推定されている。Wikipediaより 天保14年(1843)調査の『宿村大概帳』によると、今市宿(いまいちしゅく)は距離2里、宿高563.690、町並み7町21間、人数1122人(男609人、女513人)、家数236軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒、問屋場1軒、宿建人馬25人25疋であった 宿高(しゅくだか)とは 農作物などを米の取れ高に換算して、村や町宿場の規模を表示したものです。単位は石・斗・升・合・勺(しゃく)で、1石は10斗、、1斗は10升、1升は10合となります。1合は10勺となります。1升は約1.8?(一升瓶1本分)で、1石は一升瓶100本分の量となります。なお、1俵はおおよそ3斗5升のお米を入れました。 町(ちょう)と間(けん)とは 町と間は、長さを測るときの単位のことです。1町は約109.09mとなります。1町は60間です。1間は6尺(しゃく)で、約1.82mになります。なお、町・間・尺は時代によっても少しずつ長さが異なりました。 本陣・脇本陣・旅籠とは いずれも旅館です。本陣・脇本陣は、参勤交代の大名や勅使・公卿といった貴人が宿泊しました。本陣が利用できないときには、かわりに脇本陣が利用されました。一般旅人が宿泊する旅籠があります。旅籠は、食事つきの宿泊施設です。 問屋場(とんやば)とは 問屋(といや・とんや)ともいい、次の宿場まで乗り継ぐ人足や馬を用意したり、公用の出張者の旅館手配など、宿場業務を取り扱う施設のことをいいます。 宿建人馬(しゅくだてじんば)とは 参勤大名や役人などが通行するときに、宿場で用意する人足(にんそく) と馬の最大数のことです。足りない分は助郷(すけごう)として、周辺の村々から調達しました。本来50人50疋を割り当てられていましたが、文化5年(1808)に35人35疋に変更されました。 本陣高橋家 脇本陣 玄樹院 如来寺 浄泉寺 滝尾権現社 高尾神社 日光道中 壬生道、鹿沼道(日光例幣使街道) 会津西街道 大田原道(日光北街道) 荊沢道 今市市(いまいちし) かつて関東地方の北部、栃木県北西部に存在した都市。旧上都賀郡。2006年3月20日に、(旧)日光市や足尾町などの周辺自治体が合併し、(新)日光市の一部となった。現在の日光市役所本庁舎は、旧今市市役所の建物を使用している。 江戸時代:日光街道の宿場町であり、日光例幣使街道・会津西街道が分岐する交通の要衝として栄えた。 1889年4月1日:今市村、瀬尾村、瀬川村、平ヶ崎村、千本木村、室瀬村、下之内村、吉沢村、土沢村が合併して今市町が発足。 1890年6月1日:日本鉄道(→国鉄→現東日本旅客鉄道)今市駅開業。 1929年7月7日:東武鉄道下今市駅開業。 1954年3月31日:上都賀郡落合村、河内郡豊岡村を編入し市制を施行し、今市市となる。 1954年11月1日:河内郡大沢村全域と同篠井村の一部を編入。 2006年3月20日:今市市、(旧)日光市、足尾町、藤原町、栗山村が合併し、新設された日光市となる。Wikipediaより 桜杉 杉の割れ目に桜の種が落ち、杉の体内を通って地面に根をおろし、芽を吹いたものです。ちょうど人の背の高さ位に幹の割れ目があって、そこに山桜が寄生して、一本の木のようになっています。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より 特別史跡 特別天然記念物 日光杉並木街道の一里塚 七本杉の一里塚(並木ホテル) 今市七本桜 江戸から日光までの36里余(144km)の街道は「日光道中」と呼ばれ、その昔東照宮に詣でるための街道として栄えた。 街道には一里ごとに塚を築きその上に大樹が植えられて旅人に里程を知らせたが、この杉並木区間では一里塚に杉が植えられているのが特色である。特にこの塚上の杉は根元がくさって空洞が出来大人が4人位入れるところから「並木ホテル」と呼ばれている。 ○朝鮮人参の畑 追分地蔵尊 お地蔵様とおサンヤサマ お地蔵様には、大地に人間の力ではとうてい計り知れない力と知恵の倉を持っていると云われ、子育てや旅立ちの安全を願ってお参りされ、大勢の人から慕われてきました。地蔵盆日が月の24日です。 おサンヤサマは、23夜講と云い、月待ち信仰の一つです。満月を中心に月の形がちょうど半分になる夜だからとも、また地蔵縁日たる24日の前夜だからともお大師讃仰のためともいわれているが、娯楽機関の少なかった頃、信仰をかねて部落の女性が御馳走を持ち寄って集り、団らんにふけった日を云います。お地蔵様もおサンヤサマも安産子育ての信仰であり供物と線香を供え祈願しました。 知ってなるほど! 例幣使街道 例幣使街道は、日光例幣使街道ともいいます。日光東照宮の大祭に朝廷から使わされた例幣使が通行した街道です。道順は倉賀野で中山道と別れ、玉村、木崎、太田、梁田、天明、栃木を経て楡木(にれぎ)まで23里1町、14宿を例幣使街道とよんでいます。例幣使街道の杉並木は、今市から小倉までの13.4kmです。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より ○追分の変わり杉 蔵助地蔵 参道入口左側にある首の欠けたお地蔵様は戦国時代の大工蔵助が建てたものです。移動のため最近掘り起こしました。旧今市村に残存する地蔵菩薩像の中で、最古(1557年作)であることがわかりました。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より ○玄樹院 報徳二宮神社 安政3(1856)年10月、二宮尊徳は70歳で今市報徳役所で没しました。尊徳は墓石をたてるなと遺言。この遺言を守りつつ、尊徳の遺徳を偲ぶ人たちによって建てられたのがこの神社です。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より 人の集まりがにぎやかな市場となった。 今市宿 日光街道の中で、例幣使街道と会津西街道が合流する重要な場所でした。今市宿を通る町の中央には水路が走っていました。本陣は中町に1軒あったものの、天保14(1843)年に火事で焼失しています。また、江戸と日光を結ぶ通信を取り扱う飛脚番が2人いました。 もともとは「今村」といっていたのが、宿駅となってから、近在の人々が移住してきて、市場となり、にぎわうようになったので「今市」宿となったようです。毎月、1の日と6の日を定めた日として市をたてていたといわれています。 しかし、残念なことに、慶応4(1868)年の戊辰戦争で、宿のほとんどが焼けてしまい、町並みに江戸時代のものは見あたりません。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より 知ってなるほど! 今市市は線香で有名 今市で生産される線香には、杉線香と匂線香があります。杉線香と匂線香の間には、生産量では大差はありませんが、出荷額に占める杉線香の割合は、全体の20%弱にすぎません。これら今市産の線香は、東京を中心に出荷されますが、関東・東北地方が主要な流通区域です。現在、線香、製粉をあわせた今市の線香工業は、約28億円規模の産業になっています。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より 栃木県指定史跡 二宮尊徳の墓 1基 昭和32年8月27日指定 二宮尊徳(1787〜1856)は江戸時代末期の農政家・思想家であり、相模国足柄下群栢山村(かやまむら 現神奈川県小田原市)の農家に生まれ、通称を金次郎、尊徳と称した。 尊徳は、勤倹力行(きんけんりっこう)して藩家老家再興をした手腕を買われ、文政4年(1821)に小田原藩主大久保忠真(おおくぼただざね)の命を受け下野国桜町寮の荒村復興を実施することになり、その後半生を下野で過ごすこととなった。 桜町領を復興させたことにより、各地で教えを乞われ指導し著しい効果を挙げ、現在でも水路などの成果が各地にのこっている。 これらの実績により幕府に日光神領89ヶ村の復興を命ぜられ復興開発方法書を書き、嘉永6年(1853)には今市に報徳役所を設置して日光神領復興に全精力を注いだ。 しかし、安政3年(1856)に事業半ばで報徳役所において70歳で死去した。 今市の如来寺で葬儀が行われ、現在の地に埋葬された。栃木県教育委員会 今市市教育委員会 おいしい水の由来 おいしい水といって思いあたるのは湧水谷川の水、井戸の水といった自然界の水です。○○○は冷たい水をおいしい○○○等ようにおいしさにも共通の○素があります。左の表は国で定めたおいしい水の基準と今市の水を比較したものです。ご覧のように今市の水は自然な成分を適量に含んだおいしい水といえますどうぞご賞味ください。水温(国の基準20度以下 今市の水12度)残留塩素(国の基準0.4mgl以下 今市の水0.2mgl)蒸発残留物(国の基準30〜200mgl 今市の水108mgl) 硬度(国の基準10〜100mgl 今市の水40mg) 過マンガン酸カリウム消費量(国の基準3ml 今市の水0.5mgl) 臭気度・水道水(国の基準3以下 今市の水0) 如来寺 阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺です。寛永9(1362)年、3代将軍家光が東照宮造営のために如来寺御殿を建設し、ここに逗留(とうりゅう)しました。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より 回向庵(えこうあん) 江戸時代初期に、如来寺の僧侶の住居として建てられ、享和元年(1801)に造られた地蔵菩薩や子育て地蔵尊が祀られています。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より 今市町道路元標 道路元標とは、道路の起点・終点または経過地を表示するもので、現在は国道119号線と相生町(相の道通り)のT字路にあります。設置年代がなく、いつできたのかわかりませんが、法律の制定前からあったものと思われます。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より 浄泉寺 元亀3(1572)年に建立されたといわれ如来寺の末寺です。慶安4(1651)年、家光(大猷院殿)の御宝棺が日光山に向かうとき、ここで小休止したといわれます。 日光街道ルネッサンス21推進委員会 日光街道御徒マップ Walk1より ○大杉神社 ○高橋本陣跡 ○渡辺佐平商店 森友 杉並木 桜杉 七本桜一里塚 ,並木ホテル 和尚塚 追分地蔵 変わり杉 歴史民俗資料館 例幣使街道 蔵助地蔵 二宮尊徳 如来寺 道路元標 相の道 道標 奥州道 本陣 名主 脇本陣 旅籠屋 回向院 明治天皇 戊辰戦争 如来寺 日光市 栃木県 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 【リンクについて】 当サイトへのリンクは原則自由です。上記リンク用バナーをご利用ください。 ただし、リンク元のホームページの内容が法律や公序良俗に違反している場合などは、リンクの削除をお願いすることがあります。 なお、当サイトは予告なくページの変更または削除することがありますので、あらかじめご了承ください。 相互リンクは、こちら からお願いいたします。 【免責事項】 当サイトからリンクを設定しているサイトの内容は、各ホームページ管理者の責任で管理・運営されているもので、 それぞれのリンクサイトの掲げる使用条件に従って利用下さい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
【歩く地図でたどる日光街道】 http://nikko-kaido.jp/ mail JZE00512@nifty.ne.jp 制作・著作:風になりたや Copyright(C)2010-2013 nikko-kaido All Rights Reserved. そのサイトの文章・画像、地図は著作戦で保護されていますので、無断での転用、転載はご遠慮下さい。 但し、個人で使用する場合は、その範囲ではありません。しかし、会社や団体等で使用する場合は連絡下さい。 ご利用される場合は内容の加筆や削除はご遠慮下さい。また、ご意見や記載内容についてご意見があればお聞かせ下さい。 |