二宮金次郎 | 栃木Information | 志賀高原を歩く | 磐梯・安達太良産を歩く  |  奄美時間 | メール
日光街道TOP
地図INDEX
初めて歩く人のために
街道用語 
旅行用心集
東照宮から奥日光へ 
地図でたどる日光街道TOP > 東照宮から奥日光へ > 日光東照宮
東照宮から奥日光へ  日光ICから日光湯元まで  世界遺産日光東照宮100の謎解き班別行動  戦場ヶ原を歩く    菖蒲が浜~湯滝   小田代ヶ原    刈込・切込    高山   中禅寺北岸   千手が浜・西の湖   半月山   光徳沼・光徳牧場   獣道   湯の湖一週   日光湯元  丸沼高原
日光東照宮
1.表参道 2.鳥居前石段 3.照降石 4.石鳥居 …………………………………… 1
5.五重塔前広場 ………………………………………………………………………… 2
6.五重の塔 7.阿房丸 ………………………………………………………………… 3
8.表門9.下神庫 10.西浄 …………………………………………………………… 4
11.高野槙 12.栗石13.兜石 14.中神庫 …………………………………………… 5
15.上神庫 16.栄姫の灯籠 …………………………………………………………… 6
17.神厩舎 18.内番所 19.御水舎 ………………………………………………… 7
20.輪蔵(経蔵)21.唐銅鳥居 22.南蛮鉄灯籠 …………………………………… 8
23.飛び越えの獅子 24.蓮灯籠 25.鐘楼 26.朝鮮鐘 …………………………… 9
27.釣灯籠 28.回転灯籠 29.鼓楼 ………………………………………………… 10
30.本地堂(鳴龍) 31.陽明門 ……………………………………………………… 11
32.神輿舎 33.西回廊 34.透き塀 35.唐門 …………………………………… 18
36.一本鳥居 37.神楽殿 38.祈祷殿 ……………………………………………… 19
39.御供廊下 40.拝殿 41.石の間 42.本殿 …………………………………… 20
43.眠り猫 44.東回廊 45.坂下門 ………………………………………………… 21
46.階段(奥社参道) 47.銅鳥居 48.銅神庫 49.拝殿 50.鋳抜門 ………… 22
51.三具足 52.宝塔 ………………………………………………………………… 23
おもな霊獣・霊鳥の特徴と見分け方 ……………………………………………… 24

①表参道
Q1:向こうに見える参道入口よりもここの道幅が狭いのはなぜでしょう?
A:参道を実際よりも長く見せるための遠近法です。

Q2:参道入口からここまで何メートルあるでしょうか?
A:約300mあります。もっと長いように感じませんか。参道一帯には門前町として民家がありましたが、寛永17年(1640)天海大僧正により鉢石宿御幸町に移転させられました。また、明治初期まで参道中央には水路がありました。

②鳥居前石段
Q3:上にいくほど階段の幅が狭く、段差が低くなっています。なぜでしょうか?
A:わずか10段の石段を実際以上に高く、遠くに見せ、石鳥居が大きく、高く、雄大に見えるように造られています。視点が一箇所に固定し、遠方に行くに従い見えるものが1点にいく遠近法です。石段を測ってみると、一段目の横幅は7.5m、奥行き1.85m、10段目は横幅6.5m、奥行き1.7mです。

Q4:この石段に何人乗れるでしょう?
A:鎧などの武具を着けた人が1段に100人乗れます。10段あるので全部で1000人乗れます。人数を数えるための石段で、1000人枡形とも呼ばれています。すいていたらみんなで乗ってみましょう。

③照降石
石段の10段目、鳥居の少し手前の石が照降石です。
Q5:茶と青色が斜めに分かれた石があります。この色の違いが強まるとどうなるでしょうか?
A:翌日から天気が崩れるといわれています。

④石鳥居
Q6:額の大きさはどのくらいでしょうか?
A:畳1枚分の大きさです。

Q7:この鳥居はどうやって組み立てたのでしょうか?
A:エジプトのピラミッドなどと同じように、土嚢を積む方法で引き上げて組み立てました。

Q8:額は誰が書いたのでしょうか?
A:東照大権現の神号を授けた後水尾天皇が書きました。

Q9.左右の柱の大きさは同じでしょうか?
A:手作業で造られたので、西側の柱が約10㎝ほど太くできています。

Q10:柱の直径はおおよそ何センチでしょうか?
A:直径は110㎝です。柱の太さ3.6m、柱の中心の間隔が6.8m。それでは手を広げて柱を測ってみて下さい。

Q11:何個の石でできているでしょうか?
A;15個の石を組み合わせています。石材を心棒で継ぎ、柱の上に渡した笠木や島木は軽量化のため空洞になっています。こうした耐震設計の働きで、昭和24年(1949)年に日光を襲った地震のときは、最初の強い揺れでかなりずれた継ぎ目が、余震で元の位置に戻ったといいます。

Q12:鳥居の高さは何メートルでしょうか?
A:9mあります。

Q13:この鳥居は何という石でしょうか? 
A:御影石です。黒田藩(現在の福岡県)52万石の藩主、黒田筑前守長政(長政は軍師黒田官兵衛の長男です)が元和4年(1618)に奉納した鳥居で、領内から切り出した御影石です。海路江戸湾まで運ばれ、江戸からは船に載せて下野の乙女河岸で陸揚され、そこからは陸路人力で運搬されました。

Q14:この鳥居は日本3大石鳥居の一つです。残りの二つの鳥居どこの神社にあるでしょうか? 
A:京都八坂神社(江戸時代前期 正保3年(1646)再建、花崗岩、高さ 9.33m)、鎌倉八幡宮一の鳥居(現在の鳥居は、寛文8年(1668)、江戸幕府4代将軍徳川家綱によって寄進された石造明神鳥居で、高さは約8.5m)とともに日本三大石鳥居と呼ばれています。江戸時代に建てられた石造りの鳥居としては日本最大。

後水尾天皇
慶長16年(1611)108代天皇即位。以後,禁中並公家諸法度の制定(1615年),所司代などを通じての干渉に加え,幕府のほうが天皇の勅許に優越することを見せつけた紫衣事件,前例を無視した春日局の無位無官の身での拝謁強行などによって幕府への不満が爆発,皇室に圧力を加える幕府に抵抗。明正天皇(後水尾天皇の第2皇女)に譲位後,四代51年間院政を行う。中宮は2代将軍徳川秀忠と御台所お江与の方(浅井長政の3女。崇源院の末娘、和子(のちの東福門院)。

⑤五重塔前広場
Q15:広場は1000人が集まることができます。何のために集まるのでしょうか?
A:敵が攻めてきたとき兵士の待機場所になります。石段と同じように城郭建築で千人枡形の手法が取り入れられています。

⑥五重塔
Q16:高さは何メートルでしょうか?
A:36mです。石鳥居の4倍の高さです。若狭の小浜藩主、酒井忠勝が慶安3年(1650)に寄進しましたが、文化12年(1815)焼失、現在あるのは文政元年(1818)に再建したものです。

Q17:4層目と5層目では天井の下の造りが違っています。どのように違っているでしょうか?
A:初層から4層までは屋根の下の木がまっすぐ平行(和式)なのに、5層は木が扇の骨のように放射状(中国式)になっています。

Q18:1階正面、向かって右から「虎」「兎」「龍」のように並んでいます。誰の干支でしょうか?
A:初代将軍家康は寅年、2代目秀忠は卯年、3代目家光は辰年です。偶然とは云え十二支の順番通りです。

Q19:四神では、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武といわれています。
そこで問題です。五重塔はどの方角を向いているでしょうか?
A:四神では龍は東を守護し、十二支では卯の方向は東であることから五重塔はほぼ東向きに建っています。

 五重塔の内部は吹き抜け(空洞)になっていて、中心を貫く直径60㎝の心柱が4層(4階)から鎖でつり下げられ、その最下部は礎石(礎となる石。建造物の土台となって、柱などを支える石)の穴の中で10㎝ほど浮いています。建物が揺れても重心は常に中心にあって倒壊を防ぐ耐震・耐風対策といわれています。スカイツリーにもこの方法が取り入れられています。また、年を重ねると木材が縮んだり、建物自体の重みで屋根が沈み、建物に隙間ができます。そこで心柱を浮かせれば、屋根の下降とともに心柱も下がり、隙間ができません。

⑦阿房丸
Q20:東照宮最大の石。縦3.25m、横は何メートルでしょうか?
A:横6.30m。東照宮建設の報告書『御造営帳』によれば工費の13%が石工事に注ぎ込まれました。

⑧表門
Q21:裏面の虎のうち右から2頭目の体の模様がちがいます。シマではなく丸になっています。この動物の名前はなんというでしょうか?
A:豹です。江戸時代、ヒョウは虎の雌と思われていました。

Q22:彫刻の中で鼻の長い動物は象と何でしょうか?
A:獏です。体はクマ、鼻はゾウ、目はサイ、尾はウシ、脚はトラにそれぞれ似ているといわれ、その昔に神が獏を創造するときに、動物の余った半端物を用いて造ったといわれています。

Q23:左右にある阿吽の像は何という仏像でしょうか?
A:「阿吽」の仁王像(身長4m)です。昔は仁王門と呼ばれていました。仁王は仏教の守り神。明治4年(1871)の神仏分離で、この仁王像は大猷院の仁王門に移されました。それ以来、門の呼び方もも表門と呼ばれるようになりました。仁王像が戻ってきたのは明治30年(1897)年です。
 門の右側面にいる左から獏、唐獅子、、通路に面した麒麟や虎。龍・飛龍・唐獅子・牡丹・雲・竹・笹・万年青・白豹・菊・菊水・象・白象など82の彫刻が施されています。

⑨下神庫
Q24:この建物はなに造りというでしょうか?
A:校倉造りといいます。奈良の正倉院を模した建物です。
 表門をくぐると右から正面へ3棟が並んでいます。右から下神庫・中神庫・上神庫と3つあわせて3神庫といいます。大きさは中神庫が最も大きく、次いで上神庫、下神庫の順になります。

⑩西浄
Q25:中には漆塗りの9個の便器があります。誰のトイレでしょうか?
A:神様専用のトイレです。造られてから今まで、人間はだれも使ったことがありません。東照宮の七不思議の一つです。一般公開はしていません。
 彫刻や彩色などのない間口9間、奥行き2間の細長い建物です。東照宮のすべての建物が、軒先の瓦は三葉葵の紋ですが、西浄だけは三巴の紋になっています。

⑪高野槙
Q26:幹の大きさ約3m、推)定樹齢360年以上の古木です。この木は誰が植えたといわれているでしょうか?
A:東照宮の大造替(建て替え)のとき、3代将軍家光が自らの手で植えたと伝えられています。

⑫栗石
Q27:この石には苔が生えていません。石の下からも草が生えてきません。なぜでしょう?
A:この石は水を吸わないので苔がつきません。積み重ねれば雑草も生えません。雨が降っても地下にしみこみ、石の表面はすぐに乾くので、境内に湿気が残りません。木造の建築物の保存にとてもむいています。鬼怒川の支流、砥川で採取した石で青みがかった黒色をしています。

Q28:この石は東照宮内に何個あるでしょうか?
A:約468万個あります。 

⑬兜石(亀石)
Q29:この石のまわりに頭や手足、尻尾を栗石で表現し亀の形に見立てたので亀石ともいういいますが、正式な名前は兜石です。この石は何に使うものでしょうか?
A:東照宮のお祭りのとき、旗を立てるためのもので、この石の蓋をどかすと穴があり、そこに旗竿を入れます。この石は亀の甲羅に似ていませんか。誰かこの石を持ち上げて中がどうなっているか見てください。それから亀の形を作ってみて下さい。
 祭礼では拝殿唐門の前に、青龍(東)、白虎(西)、朱雀(南)、玄武(北)の四神の旗が立ちます。

⑭中神庫
春秋のお祭り、千人行列などの衣装や流鏑馬の道具が入っています。
Q30:何人分入っているでしょうか? 
A:1200人分の衣装や道具などが入っています。春秋の祭りの1週間ほど前から準備のため扉を開けるので中を見ることができます。

Q31:正面の鶴と亀の左右にいる鳥は何でしょうか?
A:鳳凰です。鳳凰は古代中国で、麟・亀・龍とともに四瑞として尊ばれた想像上の霊鳥です。体の前は麟、後ろは鹿、頸は蛇、尾は魚、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似ているといわれています。羽が5色で、梧桐に宿り、竹の実を食べ、醴泉を飲むと伝えられ、聖徳の天子の兆しとして世に現れるとされます。

⑮上神庫
Q32:実物を知らずに想像で下絵を描いたので「想像の象」とよばれています。誰が描いたのでしょうか?
A:江戸時代の狩野派を代表する絵師狩野探幽です。

Q33:白と灰色の2頭の象がいますが、本物の象とどこが違うでしょうか?
A:、右側の象は三日月形をした目、独特の表情や耳のつき方、耳を結わえた金の金具、左の象は体毛がマンモスのようにフサフサそして尻尾が3本に分かれています。
 なぜここに象の彫刻があるのでしょうか?
江戸時代この建物は「御宝蔵」と呼ばれていました。そこで、蔵の蔵(ぞう)に引っかけて象を描きました。何とも洒落た彫刻だと思いませんか。

⑯栄姫の灯籠
Q34:栄姫は誰の子どもでしょうか?
A:徳川家康の11歳年下の異父妹・多却姫は、保科正直の正室になり、天正13年(1585)に栄姫が生まれました。答えは保科正直と多却姫の子どもです。栄姫は徳川家康の姪になります。また、栄姫は名奉行・大岡越前の大叔母にもなります。長男正光は下)総国多胡で1万石を与えられます。正光が初代・会津藩主となった徳川秀忠の4男保科正之を預かり自分の子として養育しました。保科正之は、徳川家と縁が深くのちに松平家となり、戊辰戦争で白虎隊の悲劇の舞台となった会津戦争へと引き込まれていきます。その後、会津藩主松平容保は東照宮の宮司となり、家老西郷頼母は明治維新後、保科頼母と改名しまし、東照宮の禰宜(宮司を助ける神職・ちなみにねぎらうという言葉の語源となっています)になりました。不思議な因縁を感じますね。

Q35:ほかにも女性の奉納した灯籠があるでしょうか?
A:陽明門をくぐって中に入ると、右奥に一本鳥居があります。後水尾天皇の中宮となった2代将軍秀忠の子ども和子(まさこ)(東福門院)が奉納した鳥居があります。

⑰神厩舎
Q36:神馬の勤務時間は何時から何時まででしょうか? 
A:午前10時から午後2時までです。雨や雪の日はお休み。神馬は雄の白馬が条件で、現在2頭が飼育されています。百物揃千人行列には神馬もお供をします。 東照宮の神馬は、家康が関ヶ原の戦いに乗った馬が初代です。江戸時代には幕府から奉納され、常時3頭ほど飼われていました。

Q37:猿は全部で何匹いるでしょうか?
A:有名な三猿を含め16匹です。
 昔から猿は馬の守り神とされ、室町時代頃までは馬屋に生きた猿をつないでいました。

⑱内番所
Q38:今はおみくじなどを売っていますが、江戸時代は何をするところだったでしょうか?
A:江戸時代は日光奉行が支配する番所で、昼夜を問わず警備の役人が詰めて、目を光らせていました。昭和55年(1980)の漆の塗り替え修理には、1300万円もかかりました。

⑲御水舎
Q39:屋根の左下の鳥みたいな彫刻は何でしょうか?
A:逆巻く波と飛龍の彫刻があります。飛龍は翼のある龍で、水をつかさどる霊獣です。

Q40:波があり鯉が泳いでいます。全部で何匹いるでしょうか? 
A:2匹です。

Q41:なぜ西側(左うしろ)の屋根の角が切り落とされているのでしょうか?
A:魔除説や、杉の成長を邪魔しないためという説があります。
 御水舎は参拝者が手と口を清めるところで御手洗、手水所といいます。かつては自然の川や湧き水の場所でしたが、境内に独立した建物を造ったのは東照宮の御水舎が最初といわれています。
九州鍋島藩主が元和4年(1618)に奉納しました。くり抜いた15㎝の穴からサイフォンの原理(水面に架かる大気圧の力を利用して細い管を通し低い所から高い所へ、また、高い所から、 低い所へ自動で水を移動させること)で水が吹き上がるしくみになっています。

⑳輪蔵(経蔵)
Q42:建物の中には何が入っているでしょうか?
A:建物の真ん中に一切経1456部、6325巻を納めた仏教の経典を納めています。8角形の回転式の書架が置かれているので輪蔵の名がついています。
 2層屋根、しかも建物の形が12m四方の正方形をしているので、重層方形造といいます。

㉑唐銅鳥居
Q43:この鳥居は神社の鳥居と少し違っています。どこが違うでしょうか?
A:柱の足元には、神社の鳥居としては珍しい仏教様式の蓮の花が刻まれています。

Q44:建てたのは誰でしょうか?
A:3代将軍家光が金2000両を費やして建てました。日本で最初に造られた青銅製の鳥居です。

㉒南蛮鉄灯籠
Q45:南蛮鉄灯籠を奉納したのは誰でしょうか?
A:「伊達政宗」が奉納しました。

Q46:なぜ南蛮というのでしょうか?
A:ポルトガルからの輸入鉄で造られたので南蛮とついています。 鉄の材質は銅に比べて融点が高くしかも硬く加工が大変なため、仏像の彫刻でも鉄の仏はわずかしかありません。
 東照宮の中に灯籠は全部で121基あります。これはすべて諸大名が奉納したものです。石造101基、銅製17基、鉄製2基、石造5重塔型1基があります。その配置は、陽明門の内側には親戚方の親藩大名の灯籠があり、陽明門の外側は門の近くから譜代大名24基、その階下の外様大名の灯籠が表門にかけて90基、さらに表門の外に6基あります。

㉓飛び越えの獅子
Q47:唐獅子と石柵の柱はひとつの石でできているでしょうか?
A:唐獅子と石柵の柱は一体で、ひとつの石を彫り抜いてあります。単なる装飾ではなく、石柵が倒れるのを防ぐ控柱の役目も兼ねています。石段を勢いよく駆け上がり、石柵を飛び越えて着地した瞬間のポーズに見えることから、「飛び越えの獅子」と呼ばれます。備前西大寺の棟梁格の石工が備前産の花崗岩を、荷車の上で粗削りしながら日光まで運んだという言い伝えがあります。

㉔蓮灯籠
Q48:蓮の花の形をしているものは何でしょうか?
A:ろうそく立てです。寛永17年オランダからの贈り物で、銅製のスタンド型の灯籠です。ろうそく立てが蓮の形をしているので蓮燈籠といいます。オランダ灯籠はアムステルダムで造られ、船で長崎の出島へ、そこから陸路江戸に運ばれました。オランダからの贈り物は、ほかにシャンデリア型の釣灯籠、ブランケット型の燭台12基があります。

㉕鐘楼
Q49:鐘楼はつり鐘を納める建物です。もっとも多い彫刻は何でしょうか? 
A:波や剣花菱を除いて、飛龍が18でもっとも多いです。
鐘楼の彫刻は鶴(14)、龍(4)、飛龍(18)、麒麟(4)、ほかに輪宝の剣花菱(8)、波(30)など合計78体あり、同じ造りの鼓楼より豪華にできています。
写真の左は麒麟、右は飛龍です。
下層は袴腰と呼ばれ、銅板に黒漆を塗り金色の金具がつけられています。

㉖朝鮮鐘
龍頭(鐘の天井)の部分に小さな穴が開いているので「虫食いの鐘」とも呼ばれています。
Q50:この穴はなぜあいているのでしょうか?
A:鐘の響きをよくするための工夫です。
朝鮮通信使と呼ばれる使節が、家光の招待で寛永13年(1636)に最初に訪れ、幕末まで12回におよびました。その内3回が日光まで足を運んでいます。明暦元年(1655)3回目の訪問は300余名の大使節団でした。この鐘のほか、書額や銅三具足を奉納しています。

㉗釣灯籠
Q51:燭台のローソクに火をつけるとどうなるでしょうか?
A:寛永13年(1636)、オランダから奉納されたもので、ローソクに火をつけると上昇気流で自然回転するので、回転燈籠とも言われています。

㉘回転灯籠
Q52:8角形の回転燈籠で、回転する上部に飾られた三葉葵の紋が他の紋とちがいます。さて、どこが違っているでしょうか?
A:葵の紋が全部逆さになっていて逆紋の廻り灯籠ともいわれています。
寛永20年(1643)オランダから奉納されたもので、中心に軸柱があり自由に回転します。

オランダ灯籠
回廊南側外側につけられたブランケット型灯籠は、つけ根の部分がイルカになっています。

㉙鼓楼
Q53:何を入れる建物でしょうか?
A:太鼓が入れてあります。鼓楼は中国で多く造られ、中にある太鼓で時刻を知らせました。日本では、時刻は鐘で知らせ、昼間、鐘が八つ鳴れば、未の刻で現在の午後2時、それから生まれた言葉が「お八つ」です。 昔は朝食と夕食2食だったので、育ち盛りの子供は、さぞ待ち遠しかったことでしょう。鼓楼に彫刻は38あります。屋根の入母屋の妻飾りは亀(2)、四隅の垂木の上部は龍(4)、組物間に亀(12)、火灯窓の飾りが巴紋と雲(8)、そのほかに波(12)があります。

㉚本地堂
Q54:龍の頭の下で拍子木を打つと鈴のような鳴き声に聞こえます。なぜでしょう?
A:天井と床などのように互いに平行に向き合った堅い面で手をたたいたり、拍子木などの衝撃性短音を発したとき反響し共鳴し、ビーンという音色が聞こえます。この現象をフラッターエコーとよびます。
本地堂は薬師如来を祀る建物です。すなわち家康は薬師如来の生まれ代わりといわれました。また、家康は生母・於大の方が鳳来寺
(愛知県)の峰の薬師に願をかけて生まれたといわれています。東照宮最大の建物で、江戸時代には、東照宮の例祭のあと、盛大な法会がおこなわれていました。

㉛陽明門
Q55:人物の彫刻は何人あるでしょうか?
A:156人です。そのうち唐子遊びが87人です。

Q56:陽明門には何本の柱があるでしょうか?
A:12本の円柱が支えていることから「十二脚門」ともいわれています。陽明門は真南の江戸を向き、門を見上げた中心は、真北の北極星を指しています。その真北の方向には家康が眠る奥社があります。日光東照宮に参拝するときは、武士は刀を預けて、陽明門の中の石畳に、庶民は陽明門の前に土下座して拝みました。

Q57:陽明門の別名は何というでしょうか? 
A:一日中ながめていてもあきないので「日暮らし門」とも呼ばれています。

Q58:なぜ陽明門という名前がつけられたのでしょうか?
A:陽明門の名称は、宮中(現・京都御所)十二門のうちの東の正門が陽明門で、その名をいただいたと伝えられています。太陽が明るく輝くことを意味し、それは、東照大権現(東から照らす、朝日のように勢い盛んな偉大な神)にも符合します。さらに、祀られた土地は日光であり、すべてが太陽のイメージなのです。

Q59:額の下を見てください。上が龍、下は何でしょうか?
A:ヒゲがなく、まるで豚のように上唇に鼻孔がついている霊獣で息(そくまたはいきとよむ)といいます。

Q60:額の両横にある彫刻は何でしょうか? 
額の両横にある彫刻は麒麟。ビールのラベルに描かれた麒麟の体に鱗がありますが、東照宮の麒麟にはありません。麒麟は中国の想像上の動物。聖人が出現する前兆として現れるといわれました。体形は鹿、蹄は馬、尾は牛に似て、頭に1本の角があり、全身から5色の光を放つといいます。

Q61:中央部、白塗りの横木の宙を舞うのは、なに龍というでしょうか?
A:通称「目貫の龍」。左右に勢ぞろいしているのは龍馬。足に蹄のある龍です。

Q62:有名な「魔除の逆柱」、グリ紋(猿の顔のような模様)の向きが異なる柱はどこにありますか?
A:門をくぐり終わる左側の柱。この柱だけがグリ紋の向きが違っています。
これと同じ逆柱が、本社の拝殿と本殿に1本ずつあります。建物は完成した瞬間から崩壊が始まる。それなら1か所だけ違え、建物はまだ未完成で、建物が長持ちするよう願ったといいます。

 「唐子遊び」と呼ばれる一連の彫刻が30体あり、そのうち人物を彫刻したものが20体、計87人の子供が彫刻されています。その他10体は花鳥の彫刻です。それらの主題は次のとおりです。
正面(南側)に向かって
①孟母三遷(1番右)本を読んでいる。
②奏楽(右から2番目)笛を吹き、太鼓を叩く。
③舞踏(右から3番目) 踊っている。
④石拳(右から4番目)二人の唐子が向き合って、石拳をしている。
⑤司馬温公の瓶割(右から5番目) 中国の政治家・司馬は子供時代、水瓶に落ちた友人を救うために大切な瓶を割った。命の大切さを教えています。
⑥鬼ごっこ(右から6番目)江戸時代に流行した「子とろ子とろ」遊び。今でいう鬼ごっこ。
⑦竹馬(右から7番目)「遊びをせんとや生まれけん」という子供の姿が描かれている。右の2人は竹馬に乗っている。
⑧蝶取り(右から8番目)牡丹の花咲き乱れる中、二人で蝶々を見ている。
⑨お祭り(1番左)

西側(右から)①雀 ②雀 ③鸞 ④布袋和尚と童子 ⑤鸞 ⑥野遊び
背面(北側)
①散歩 (1番右側)
 犬と遊んでいる。
②木菟 瑠璃鳥 唐松(右から2番目)
 唐子の彫刻にまぎれて正面を見る木菟。
③灌仏遊び(右から3番目) 
 4月8日の潅仏会(花祭り)ごっこをしている。
④山鵲 竹 長春(右から4番目) 
 装飾彫刻としてはお馴染の山鵲。
⑤雪中遊戯(右から5番目) 
 みんなで雪だるまを作っている。
⑥雀 瑠璃鳥 唐松(右から6番目) 
⑦雪中遊戯(右から7番目) 
 雪で作った熊を棒で壊そうとする子。
 左端の子は泣き出している。
⑧木馬遊び(右から8番目)
 正面側にもあったが、竹馬にまたがって遊ぶ。
⑨山鵲(1番左) 
 こちらは一羽だけの山鵲。

東側(右から)
①山鳩 梅 牡丹 
②倒れた友を助ける 
③座談 寒い夜火鉢を囲んだ集まり 
④喧嘩 
⑤鳩 
⑥鳩を捕える子供

陽明門の下層組物間には中国の故事逸話に基づく計22体の人物彫刻がある。
正面中央
周公聴訴
古代中国の政治家の周公は、髪を洗っている時でも、人が訪ねてくれば中断して訴えに耳を傾けたといわれています。周公は、武王を助けて殷王を滅ぼし、内政を治め天下を平定しました。武王の死後、成王を補佐し、制度や冠婚葬祭などを整えた人。 周公の右側には、訴人訴え出た人がお辞儀をしています。

孔子観河(周公の左側の彫刻)
孔子が弟子とともに川の流れを見つめて感慨(心に深く感じて、しみじみとした気持ちになること)にふけっている様子。

君主の四芸(為政者に求められた教養)といわれた琴棋書画 人物彫刻
琴を弾く人(正面1番右)
碁を打つ人々(右から2番目)
書を書く(右から3番目)
絵の鑑賞(右から4番目)

四睡は豊干、寒山、拾得の3人が虎と眠っている。禅の悟りの境地を表している。

背面の下層組物間には正面とは異なり、道教で理想とされる人物・仙人の彫刻があります。背面以外の東西の側面には仙人以外の彫刻も施されています。
 何故、陽明門に仙人の彫刻があるのでしょう。一説では家康の魂が、死を以って消滅するのではなく、仙人のように不老不死で、後世までもこの世にその力を発揮し続けることを願ってのことではないかといわれています。
 中国の八仙人は李鉄拐 、鍾離権、呂洞賓、 藍采和、韓湘子、何仙姑 、張果老、 曹国舅です。彫刻の7人に八仙人の鉄拐仙人と鍾離権がなぜ選ばれたのか不明です。

鉄拐仙人
 口から自分の魂をとばして他の人に乗り移ることができたといわれます。
 ある時、老君に会うとして、体を置いて魂だけ行きますが、その際弟子に体の番をさせました。7日経っても帰ってこなければ体を焼いてもよいと伝えました。ところが6日目に弟子の母親が死んでしまい、家に帰るため鉄拐の体を焼いて帰ってしまいます。7日目に帰ってきた鉄拐、戻る体が焼かれて困ってしまいます。そんなところに道端で乞食が飢えて倒れていました。その乞食の体に入ってやっと再生できました。

鳳凰に乗った梅福仙人
梅福仙人は、中国漢代の人物。もと官吏であったが俗を嫌い、職を辞し仙人となった。鳳凰に乗る姿で彫刻されることが多い。山車にも多くの作例がある。社寺の屋根の上に飾られる例もある。

鶴に乗る王子喬
聖賢が儒教の理想とする人物であれば、仙人は道教の理想の人物です。人間界を離れて山中に住み、不老不死の法を修め、神変自在の法術を体得した人達です。恐らく、家康公の魂が、死を以て消滅するのではなく、仙人のように不老不死で、後世までもこの世にその力を発揮し続けることを願って、あるいは、神威の玄妙さを表現せんがために用いられたものと考えられます。

天空を飛び回っている費長房を見上げる3人の人物。
不思議なことに費長房本人の彫刻はありません。どこに行ったんでしょうね。費長房は、漢代 の汝南県の町役人で壺公の弟子。仙道の奥義の試験に失敗したものの、地仙 になったと言われています。費長房も鶴に乗った仙人として知られています。左隣の王子喬が鶴に乗っているので重複しないようにしたのでしょうね。

笠で空を飛ぶ鐘離権
中国の八仙人の一人。漢の時代の仙人
頭に二つのあげまきを結い、太った腹を晒したものとして描かれる。暗八仙は芭蕉扇であり、死者の魂をよみがえらせることができるという。

龍に乗る黄仁覧
中国晋の仙人。役人だったが、数千里離れた実家と勤務地を毎日通っていた。 ある日、不審に思った両親が問うと、黄仁覧は竹を龍に変化させ、 それに乗って飛んでいったという。

鯉に乗った琴高仙人
この仙人は、周の時代の人で、琴の名手。長寿の仙術を行って800年も生きたと言われています。ある時、龍の子を捕らえて見せる、と弟子たちに約束して川の中に入り、約束の日に大きな鯉に乗って現れ、人々を感嘆させました。波間から姿を表した瞬間を彫刻しています。

㉜神輿舎
Q63:中央の神輿は徳川家康。左右の神輿は誰のでしょうか? 
A:向かって右は豊臣秀吉、左が源頼朝の神輿です。

Q64:天井には何が描かれていますか?
A:日本一美人の天女といわれる狩野派の天女舞楽の図です。
 春秋の千人行列の正式名称は神輿渡御祭、神輿を55人で担ぐ神輿1基の重さは約800㎏。昭和40年代に作られた2代目。寛永13年(1636)年製作の初代の神輿は約1120㎏。引退理由は現代人には重すぎるから。現在は東照宮宝物館に展示してあります。

㉝西回廊
Q65:陽明門から左右に延びる廊下が回廊です。東西回廊を合わせた総延長は何メートルでしょうか?
A:総延長220m。コの字に本社を囲んでいます。回廊の外側の彫刻は、欄間に雲、胴羽目に花鳥と動物、腰羽目に水鳥というように、天・地・水にちなんだものが彫り分けられています。どれも1枚坂の透かし彫りです。

㉞透き塀
Q66:透き塀と呼ぶのはなぜでしょうか?
A:塀は唐門から左右に延びて本社を囲んでいます。塀の中が透かし見えるのでこの名前があります。総延長は160m。塀全体に彫刻がされています。

Q67:屏の上に山野の鳥と植物、下には何の彫刻でしょうか?
A:下に波や水鳥を描き対比させています。
 唐門の左右の千鳥は図柄も左右対称で、1枚の原画を裏と表に使い分けたようです。

㉟唐門
Q68:この門はどんな人が使えたでしょうか?
A:将軍に会えることのできる幕臣や大名だけが使えました。

1本のケヤキに4列27人の人物が彫られ、元旦に新年のあいさつを受けている彫刻を見つけて下さい。舜帝朝見の儀といいます。
Q69:この人は誰の顔に似ているでしょうか?
A:徳川家康に似ているといわれています。

Q70:屋根の上の動物は何となんでしょうか?
A:正面と背面には、百獣の王虎よりも強いという奇獣、恙(つつが)、東西には龍がいます。

Q71:唐門の正面に彫られている実在の動物はなんでしょう? 
A:牛です。

㊱一本灯籠
Q72:後水尾天皇の中宮、和子(東福門院)が奉納した灯籠ですが、誰の子でしょうか?
A:2代将軍秀忠の5女です。

㊲神楽殿
Q73:神楽殿は何をするところでしょうか? 
A:神楽殿は日本神話の神様にささげる歌や踊りをするところです。

Q74:神楽殿西側の金箔の板に花かごの彫刻があります。どんな花が入っているでしょうか?
A:籠の中の花は菊(白、黄色)、桔梗(紫)、芙蓉(緑)の3種類です。
 四角形の和風建物の内部は、北向き正面が舞台、後ろは楽屋になっています。

㊳祈祷殿
Q75:祈祷殿の正面に彫刻されている魚は何ですか?
A:鯉です。

㊴御供廊下
東回廊から石の間に通じる20mの横木に描かれた墨絵の波、雲と鳳凰が見事な廊下を御供廊下と呼びます。
Q76:なぜ御供廊下と呼ぶのでしょうか?
A:毎日神前にそなえる食べ物を運んだので御供廊下といいます。

㊵拝殿
Q77:2代将軍秀忠の干支はどこにあるでしょうか?見つからないときは振り返って唐門を見てください。
A:秀忠の干支兎があります。正面に家康の干支虎。3代将軍家光の干支龍は虎の下と左右にあります。

Q78:天井に描かれている龍の数はいくつでしょうか?
A:100頭です。1頭ずつ違い同じものはありません。

Q79:蝶がとまったところに幸せが訪れるという二蝶はどこにあるでしょうか?
A:拝殿向拝柱置紋の「二つ蝶」があります。円の中に蝶が向かい合っています。
 左の間仕切り戸は、徳のある王に助言するために現れるという霊獣白沢で、右には平和な世に姿を見せる麒麟が狩野探幽によって描かれています。

?石の間
Q80:重要な空間とはどういうことでしょうか? 
A:神の世界(本殿)と人の世界(拝殿)をつなぐ場所で、本社の祭礼は、、この石の間を中心におこなわれています。

Q81:石の間の畳の下には何があるでしょうか?
A:石が敷きつめられています。だから石の間といいます。

㊶本殿
Q82:江戸時代に本殿の中まで入れた人は誰でしょう?
A:将軍だけが入ることができました。

Q83:この建物の様式はなんというでしょう?
A:入母屋造りといいます。

Q84:本殿扉の上に並んでいる彫刻は悪夢を食べてくれるとされる霊獣(神聖で不思議なけもの)、何という霊獣でしょうか?
A:獏です。鼻が長いので象にも見えますが、トゲのような眉と丸い目、首の巻き毛が持徴です。唐の詩人・白楽天の『白氏文集』によると、獏は鉄や銅を食べる。戦争が始まると武器を作るため鉄や銅がなくなるので、獏は平和な時代にしか生きられないという。東照宮の獏の彫刻78頭のうち54頭が最も重要な本殿にいるのは、獏は軍縮の象徴でもあり、平和への強い願いが込められているからでしょう。
  
㊸眠り猫
Q85:眠り猫の彫刻の裏側にある彫刻は何ですか?
A:眠り猫の真裏に二羽の雀の彫刻があります。猫が起きていれば雀は食べられてしまうが、東照宮では猫も居眠りして雀と共存共栄。戦乱が治まり、平和な時代がやってきたことを表しています。

Q86:眠り猫は誰の作でしょうか?
A:左甚五郎作といわれています。

Q87:眠り猫と一緒に描かれている花は何ですか?
A:牡丹の花です。牡丹の花咲く下に日の光を浴びて子猫が転た寝しているところで日光を現わす絶妙の奥義を秘めています。

㊹東回廊
Q88:陽明門から続く廊下の朱色は何の塗料で塗られているでしょうか?
A:漆です。漆は、ウルシ科のウルシノキから採取した樹液を加工した、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料です。(回廊の説明は西回廊を参照)
 
㊺坂下門
Q89:坂下門の別名はなんというでしょうか?
A:いつも閉まっていて、将軍しか入れないので「開かずの門」といいます。

Q90:欄間に鳥がいます。何という鳥でしょうか?
A:鶴です。
 坂下門は全体に胡粉を塗った清な感じだが、柱や天井を飾る金具は七宝焼です。、腰羽目には牡丹と唐草模様の彫刻があります。

㊻階段(奥社参道)
Q91:坂下門から奥社まで何段あるでしょうか?
A:207段あります。ほかに表門に18段、飛越の獅子前に22段、陽明門前に12段、奥社拝殿前に11段あり、合計270段あります。

㊼銅鳥居
Q92:鳥居の額には何と書かれていますか?
A:東照大権現。元和2年(1616)家康が駿府で没すると,遺言に基づきいったん駿河久能山に葬り,翌年下野日光山に遷葬されました。鳥居には徳川家康の神号「東照大権現」が書かれています。鳥居は最初、石製でしたが天和3年(1683)の大地震で破損して唐銅鳥居にかえられました。

㊽銅神庫
Q93:家康の位記、宣旨ともうひとつ納められていた
もは何でしょうか?
A:甲冑(よろい)、刀剣などの武具が納められていました。

㊾拝殿
Q94:この建物はどんな色をしていますか?
A:黒色です。

Q95:拝殿に上がる階段の両脇にいるのは何でしょうか?
A:狛犬です。
松平右門大夫正綱と秋元但馬守泰朝の二人から寄進されたもので二人は徳川家康の遺臣であり、寛永年間の奥宮造営の功により特に奉納を許されたそうです。左の狛犬には角があります。

㊿鋳抜門
Q96:この霊獣の名前はなんというでしょうか?
A:蜃気楼の「蜃」です。

Q97:鋳抜門の材質は何でしょうか?
A:銅です。
扉を除いて、柱や梁などをひとつの鋳型で作ったことから鋳抜門と呼ばれています。門の前ににらみをきかせているのは狛犬です。左の狛犬には角があります。

51三具足(みつぐそくともいいます)
Q98:鶴のくちばしはどうなっていますか。これは何をするためのものでしょうか?
A:ろうそく立てになっています。
朝鮮からの贈り物です。朝鮮からの使節は、1607~1811年までに12回を数えます。その内、第4回(1636)、第5回(1643)、第6回(1655)の3回は、日光まで参詣し、第5回家光の長男家綱の誕生を祝うために朝鮮通信使が、銅鐘(朝鮮鐘)と共に奉納した香炉、燭台、花瓶の三品が三具足です。

52宝塔
Q99:徳川家康は何年に亡くなったでしょう?
A:元和2年(1616)4月17日、75歳で亡くなりました。京都の豪商、茶屋四郎次郎という人が、最近流行の食べ物といって家康にすすめたのが「鯛の天ぷら」だったそうです。その天ぷらの中毒で死んだという説がありますが、家康の侍医であった片山宗哲という医師は、家康の晩年の健康管理について相談にのっていました。その宗哲が残した「片山家譜」によると、「大権現様(家康のこと)、御腹中に塊ありて、時々痛みたもう」とあります。腹部に塊というのは、胃癌で、それが原因で死んだと思われます。

Q100:奥社宝塔の台座の石は何角形でしょうか?
A:8角形です。
【歩く地図でたどる日光街道】リンク用バナー
【リンクについて】
当サイトへのリンクは自由です。上記リンク用バナーをご利用ください。
ただし、リンクサイトのホームページの内容が法律や公序良俗に違反している場合は、リンクをお断りします。
なお、当サイトは予告なくページの変更または削除することがあります。
相互リンクは、こちら からお願いいたします。
【免責事項】
当サイトからリンクを設定しているサイトの内容は、各ホームページ管理者の責任で管理・運営されているもので、
それぞれのリンクサイトの掲げる使用条件に従って利用下さい。
【歩く地図でたどる日光街道】
http://nikko-kaido.jp/
mail JZE00512@nifty.ne.jp
制作・著作:風になりたや(浜田輝雅)
Copyright(C)2010-2013 nikko-kaido All Rights Reserved.
このサイトの文章・画像、地図は著作権で保護されていますので、無断転用、転載はご遠慮下さい。
但し、個人で使用する場合は、その範囲ではありません。しかし、会社や団体等で使用する場合は連絡下さい。
ご利用される場合、内容の加筆や削除はご遠慮下さい。
ご意見や記載内容についてご意見があればお聞かせ下さい。