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地図でたどる日光街道TOP > 地図検索 > 53.茂原〜雀宮(説明)

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第十五次石橋宿〜第十六次雀宮宿  51.石橋〜鞘堂  52.鞘堂〜茂原  53.茂原〜雀宮 ⇒雀宮宿〜宇都宮宿へ

茂原から雀宮まで
左に大島マンション、茂原観音入口パス亭、オートグルーヴの信号のところに観音堂入口の道標がある。右にいくと、JR東北本線を過ぎ、10分ほどで火の見櫓があり、そこに分岐の石仏がある。さらに農道ののんびりした道を10分ほど行くと茂原観音堂がある。
観音堂入口から日光街道を北へ行くと右に大きなお屋敷があるがここが茂原観音堂の絵馬に書かれている立場と馬車屋の屋号をもつ民家。さらに北へ行くと茂原自衛隊前の信号。左が自衛隊の正門がある。左の敷地は自衛隊で広大な面積がある。この道はまっすぐ北へ延びているが日本のどこにでもある景観で、20分位右に江戸から25番目の一里塚雀宮一里塚がある。ここが雀宮宿入口で木戸や土塁があり、ここから町並みが続いていた。  







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石橋宿から雀宮宿 茂原(栃木県宇都宮市)〜雀宮(栃木県宇都宮市) 1561m 21分

茂原観音
 お堂に安置されている観音は、秘仏となっており、公開は不定期。ここに奉納された数多くの絵馬は、江戸時代から現代に至まで多くの参詣者と厚い信仰があったことを窺わせています。 「日光街道ルネッサンス21」より

観音道入口
 観音道は「茂原正観音道」と書かれたこの地点から始まり、多くの参詣者が通った道でした。日光街道から茂原観音までの観音道を行くと、分岐点に置かれた石仏を見ることもできます。 「日光街道ルネッサンス21」より

○分岐点の石仏

ぬくもりが伝わる宇都宮のお土産
 栃木県はかんぴょうの生産日本一。その実をくりぬいて作る「ふくべ細工」は、宇都宮の代表的なお土産です。ほかにも、無病息災を願う郷土玩具「黄ぶな」や「大谷石細工」など、その可愛らしい表情には、思わず心もなごんでしまいます。 「日光街道ルネッサンス21」より

下野の両雄対決
 茂原(古くは毛原、裳原とも書いた)は中世、たびたび合戦場となったところです。南北朝のころ、天授6(康?2、1380)年、茂原の地で下野の両雄といわれる宇都宮基綱と小山義政が壮絶な戦いを行いました。「小山・宇都宮合戦」とも「茂原合戦」ともいわれる戦いです。結局義政の謀略によって基綱ら一族300余人はことごとく討ち死にしてしまいました。この合戦は本来、宇都宮氏と小山氏の私闘でしたが、のちに鎌倉幕府に対する小山氏の反乱にも発展したといわれます。 「日光街道ルネッサンス21」より

立場
馬車屋
雀宮一里塚
茂原
末広
南高砂町
新富町
高砂町
宇都宮
栃木県
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