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初めて歩く人のために - 【 歩く地図でたどる日光街道 】説明 ↑TOPへ 新田宿から小金井宿 新田宿(栃木県小山市)~小金井(栃木県下野市) 2170m 27分 旧日光街道跡 江戸時代の日光街道は、小金井一里塚北付近から国道4号を西にそれ、新田宿北口の石仏群あたりの水路に沿った部分にあたります。この辺りの道幅は、並木部分も含めて約20mありました。 「日光街道ルネッサンス21」より 国指定史跡 小金井一里塚 大正11年3月8日指定 この二つの塚の間を通っている道が江戸時代の五街道の一つ、日光街道です。江戸幕府が五街道の整備に着手したのは慶長9年(1604)で、栃木県令三島通庸(みしまつうよう)が今の国道4号を作ったのが明治17年(1884)ですから、この日光街道は約280年もの間、東北地方への主要道路として使われていたのです。 一里塚は、江戸の日本橋を起点として一里(約3.92km)ごとに築かれました。小金井一里塚はその22番目の塚で、江戸から22里(約86.4km)の地点であることを示しています。(実際の距離は90km以上あります) 塚は5間(約9.1m)四方の四角形に築かれ、榎が植えられましたが、今ではすっかり変形して丸塚となり、何代目かの榎と、いつの時代に生えたのか、榎と櫟(くぬぎ)の巨木が同居しています。 一里塚は、荷物や人を運ぶ賃金の標準となり、旅人にとっては道のりの目安になって、たいへん便利でした。また、現代の私たちにとっては町の歴史のシンボルであり、過去と未来を結ぶ文化財です。大切に保存しましょう。 平成2年(1990)建立 国分寺町教育委員会 新田宿 しもつけ風土記 羽川 川中子 小金井 栃木県 小山市 下野市 |
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