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初めて歩く人のために - 【 歩く地図でたどる日光街道 】説明 ↑TOPへ 間々田宿から小山宿 間々田宿(栃木県小山市)〜安房神社(栃木県小山市) 2172m 28分 栃木県指定史跡 千駄塚古墳 指定年月日 昭和28.11.10 直径約70mにおよぶ2段築成による大型の円墳です。周湟は西側と北側に遺存し、幅15m〜20mです。墳頂部に浅間神社が祀られています。築造年代は不詳ですが、6世紀代のものと考えられています。 また、古墳北側には、付近から出土した家形石棺(県指定文化財)が保存されています。(小山市役所HPより) ○浅間神社 大橋訥庵・巻子旧居跡 当地粟宮(あわのみや)の医師大橋英齋の子で宇都宮で母方の姓を嗣いだ菊池淡雅(たんが)は、江戸日本橋に出た豪商で、文化人としても知られていました。娘巻子に生家大橋家を嗣がせるべく迎えた婿は、昌平黌教授佐藤一齋門下の俊才で、大橋訥庵(とつあん)を名乗り、日本橋に思誠塾を開いて、当寺の青年志士に大きな思想的影響を与えました。 しかし、尊皇攘夷を唱え、幕政を批判するなど先鋭的でした。坂下門外の変への関与を疑われて投獄され、出獄後文久2年(1862)病没しました。47歳でした。その経緯を綴った妻巻子の歌日記「夢路日記」が刊行されると当寺のベストセラーとなりました。中でも夫訥庵の生涯を追想した詠、 天(あま)がける魂(たま)の行方は九重の 御階(みはし)の下(もと)をなほや護(まも)らん は、夫を支え通す貞節な妻の生き方を示すものとして賞讃されたのでした。明治14年(1881)58歳の生涯を終えます。巻子はこの地に一時夫妻で居住したと伝えられています。 (大橋家略系図あり) 間々田商工会 小山歴史研究会 間々田一里塚 浅間神社 古民家本田商店 西堀酒造 旧日光街道 間々田八幡宮 道標 古民家 本田商店 粟宮 栃木県 小山市 |
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